ジプリアニメ「火垂るの墓」は、野坂昭如氏の原作を題材にした高畑勲監督のアニメ映画作品として有名です。
以前は終戦日前後に毎年テレビで再放送されていましたが、最近ではほとんど見ることがなくなりました。
その理由としてある都市伝説があることをご存知でしょうか。
「火垂るの墓」が再放送されなくなった理由(都市伝説)をまとめたので紹介します。
火垂るの墓のあらすじまとめ

母親を亡くし、父親が戦争に行っている清太と節子の兄妹は叔母の家に預けられますが、折り合いが悪く2人で家出して生活することになります。
しかし、ろくに食べ物も手に入れることができず、追い詰められていく様が描かれています。
妹の節子が亡くなり、清太は東京駅で息を引き取るシーンは「戦争はなんて残酷なんだろう」と涙した人は多かったのではないでしょうか。
火垂るの墓が再放送できない理由とは(都市伝説)
サクマ式ドロップの商標問題


火垂るの墓に出てくる大事なシーンの一つに、ドロップが登場します。
アニメに出てくるのは「サクマ式ドロップス」と書かれていますが、これに似た「サクマドロップス」という商品がありよく赤缶と緑缶として区別していましたが製菓会社が別物だと知っている人は少なかったのではないでしょうか。

もともとは、1908年に和菓子を製造していた佐久間惣治郎が興した佐久間製菓株式会社が、イギリスから輸入していたドロップを製造販売したことから始まるが、太平洋戦争で砂糖の供給が激減し、工場も被害にあったことから一度は廃業してしまった様です。
その後、1948年に同社の番頭格であった横倉信之助が同名の会社を立ち上げ、「サクマ式ドロップス」を販売し始めます。
同年に、旧・佐久間製菓社長の息子が設立した「サクマ製菓株式会社」が同様のドロップを販売し「サクマドロップス」として売り始めました。
そして両者ともにどちらが本家本元かと争い裁判になったそうです。
最終的には佐久間製菓株式会社が「サクマ式ドロップス」の商標を獲得したそうです。
この裁判沙汰が影響して「火垂るの墓」が再放送されないのではと噂されているのです。
反戦映画だったから
「火垂るの墓」は第2次世界大戦真っ只中を作中で描いており、反戦映画であるとみなされたと噂があります。
高畑勲監督は本作について「反戦映画ではない」と断言しています。
ただ、戦争の時代を生きた悲劇を通して「家族や社会」といったテーマを描きたかったと話しています。
視聴率の低迷
長年の視聴率の低迷が懸念されてしまったことが再放送しなくなった理由だと言われています。
戦争の時代を生きてきた人たちは日々少なくなってきました。
現在がいかに平和かということが薄らいでしまったのではないでしょうか。
怖い、トラウマになりそうだから


「火垂るの墓」に描かれるシーンの中に、栄養失調でなくなっていく妹の姿や駅で死んでいく清太に誰も見向きもせずに通り過ぎていく人たちの姿が描かれています。
また、戦争で傷つく人の様子も描かれており、トラウマになりそうと言われた為に再放送しなくなったと噂がありました。
まとめ
「火垂るの墓」のアニメ映画が再放送されなくなった理由(都市伝説)にサクマ式ドロップスの商標問題があったからだと言われています。
あくまでも都市伝説の噂に過ぎません。
「火垂るの墓」を一度見ると本当に可哀想なストーリーで涙が出てきます。
そしてドロップをカランカラン鳴らす節子の姿と栄養失調で死んでしまう姿を思い出してしまう映画でした。
それだけ強烈的な印象を与えるアニメ映画なんでしょうね。
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