2022年に台湾で大ブームになったと言われる美輪明宏さんのスマホの待ち受け画面が最強と言われて話題になっています。
その理由や、大ブームを引き起こした火付け役は誰だったのかをまとめてみました。
美輪明宏プロフィール
本名:丸山明宏
生年月日:1935年5月15日
出身地:長崎県長崎市
学歴:海星中学校
美輪明宏さんは、長崎市で丸山作一・ヌーメの間に5人兄弟の次男として誕生されました。
幼少期は経済的に豊かな環境で育ちますが、1939年に始まった第二次世界大戦で生活が一変してしまいます。
1945年8月9日に落とされた原子爆弾により金融業をしていた父親の貸付先が相次いで破産・他界したため返済を受けれなくなり貧乏生活を余儀なくされてしまいます。
オペラ歌手を夢見て1951年、15歳に上京しますが実家の父親と大喧嘩をし絶縁状態になり、1人で生きていくため進駐軍のキャンプを廻り、歌を披露しギャラをもらいながら生活していた時期がありました。
17歳の時にゲイバーやバーテンなどのアルバイトにも従事していた頃シャンソン喫茶「銀巴里」で美少年(ボーイ)兼歌手募集の張り紙広告を見て応募し、専属契約を交わすことになります。
1957年、シャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーし、艶麗な容貌で、シャンソンを歌い上げ、一躍人気を博す。元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションと、三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛した美貌で、「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡します。
その後も人気に浮き沈みはあったものの数々の映画に出演しています。
美輪明宏待ち受け画面が日本でブームになったきっかけは「オーラーの泉」
「オーラの泉」(正式な番組名は「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラのずみ」)は、2005年から2009年にかけてテレビ朝日系列で放送されたスピリチュアルトークバラエティ番組です。
「オーラの泉」は、「TOKIO」の国分太一さんが番組司会を担当し、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんが有名人のゲスト出演者の「オーラ」、「守護霊」、「前世」などを霊視し、それを元にゲストに向けて、霊能力が強いことで知られる歌手の美輪明宏さんと共に人生を生きていくためのアドバイスを贈るといった内容でした。
150回近くが放送され、俳優やタレント、歌手など錚々たる有名人ゲストが毎s回登場し、江原啓之さんと美輪明宏さんのアドバイスも心に響く内容だった事から人気を集めた番組でした。
しかし、「オーラの泉」は科学的に解明されていないスピリチュアルな内容を扱った番組であり、そうしたオカルティックな内容に対して批判的な意見も多く出ており、賛否両論のある番組でもありました。
そして、「オーラの泉」は2009年3月14日にレギュラー放送が終了し、その後の特番枠内での放送も同年9月19日の放送を最後に終了しました。
当時、人気のある番組だったので奇抜な髪色をしている美輪明宏さんの存在が一躍有名になり、霊能力のある人なので、待ち受けに設定すればいいことがあるかもみたいにして都市伝説化していったと考えます。
台湾でブームになったきっかけは掲示板サイト「PTT」
キッカケは、台湾版5ちゃんねるのような総合掲示板サイト「PTT」にあるユーザーが「最近スマホの壁紙を美輪明宏にしたら運気が良くなった」と書き込んだからでした。
その前に、台湾のインスタグラマーが美輪明宏さんの数奇な人生をシェアし、長崎県出身の美輪さんが戦後荒波のような時間を乗り越え、芸能界で成功したことを紹介し、多くのネットユーザーが涙し共感しました。
そして「日本にはかつて美輪さんを待ち受けにする文化があった」と伝えられました。
そんな文化があったっけ?と思いながら検索していくと確かに10年ほど前に都市伝説化した「美輪さんの画像を待ち受けにしたら幸運が訪れる」という流行話しがありました。
ちなみに美輪明宏さんの髪の毛が黄色だから風水的に金運がアップすると言われていました。
まとめ
美輪明宏さんの待ち受け画面が最強という都市伝説は日本で生まれ、10年過ぎた現在にネットで美輪明宏さんの壮絶な人生がシェアされたことで、待ち受け画面が最強とバズったのが台湾でのブームのきっかけだったようですね。
現在87歳になり、顔貌もかなり老けた印象がありますが髪の毛の色は黄色なんですね。
いろんな病気にかかり一時は余命3ヶ月と医師から宣告されたこともあるそうですが、87歳で現役で活躍されているのですごいですね。
今後もご自愛しながら活躍して欲しいと思います。
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