【画像】餃子の王将一族の家系図まとめ!創業者のルーツが闇だった?

餃子の王将の創業者は、加藤朝雄氏で1967年に餃子の王将1号店を京都で開業されました。

加藤朝雄氏の出自が暗い影を落としており、様々なトラブルに巻き込まれているのではないかと囁かれています。

家系図を見てみるとトラブルが一族に降りかかっていることがわかるので紹介します。

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目次

加藤朝雄は1924年福岡県で出生

加藤朝雄は貧困集落出身

加藤朝雄氏の出自に関しては、福岡県飯塚市の貧困集落出身であると言われていますが、なぜかはっきりとしていないとも言われています。

ネットでの情報の一つですが、生家は小さな鮮魚店で生活は貧しかったとインタビューに答えていたという情報を見つけました。

記事によると、

「9歳から家計を助けるために働いた。

新聞配達に始まり、何やかんやと。

私は毎日自分に誓うとりましたわ。

今に見ておれ、絶対に大金持ちになってやる。

父ちゃんと母ちゃんにうまいもんを食わせて、楽をさせてやるんだ

加藤朝雄氏の周囲には「普通でない人」が多かったようで、その人たちが裏社会の人脈と繋がっていた可能性が高いですね。

加藤朝雄氏は解放運動を支援するスポンサーにもなっていたそうで、解放同盟や非合法組織と深い関わりを持っていたそうです。

戦時中に満州や中国に出兵

加藤朝雄氏の情報については情報が少なく定かではないのですが、戦争で満州に出兵したという情報がありました。

1941年、17歳で中国大陸に渡っていますが、加藤朝雄氏の兄が先に現地で飲食店を経営していたのが理由だったそうです。

その後、一旦帰国し洋食を学ぼうと、梅田新道のアサヒビールが運営するビアホールでコック見習いとなりますが、1944年に徴兵、満州・大連で勤務中に終戦を迎えます。

1947年に日本へ引き揚げ、料理店、行商、小口金融業などさまざまな経歴を重ねられたようです。

若い頃から料理に関わっていたことや、本場中国の味を知っているからこそ、中華料理店で成功することができたんですね。

1993年に逝去

1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。

一時体調を崩されたと言われていますが、一説には大腸癌を患っていたと情報があります。

餃子の王将創業者加藤朝雄の家系図とは

創業者は加藤朝雄氏で、その妻 梅子さんは射殺された4代目社長、大東隆行氏の16歳年上の姉に当たります。

梅子さんが生きていれば、1925年生まれなので97歳になられると思います。

現在の餃子の王将の大株主に氏名が上がっているのでご存命なのではないかと思われます。

3代目社長は2000年に社内クーデターを起こされ社長の座を追放

創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。

創業者の加藤朝雄氏が体調を崩した時に一時飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任されたようです。

1993年に加藤朝雄氏が逝去後に息子の加藤繁氏が社長に就任することになり創業者一族が経営権を握るようになりました。

3代目社長に就任した加藤繁氏は元々素行が良くなかった上に、解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りますが、株主である一族に地位を守られていました。

加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。

4代目社長、大東隆行が射殺

9年前の2013年12月19日に京都市山科区の王将本社前で、当時の社長が射殺されるという事件がありました。

誰からも好かれる社長で、社長就任後は毎朝6時前に出社し、会社の玄関や駐車場を掃き清めていたそうです。

なぜ殺害されたのか多くの疑問が残った事件でした。

迷宮入りかと思われていた事件が、2022年10月28日に急展開となり、工藤会系組員、田中幸雄受刑者が逮捕されました。

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3代目社長の息子と子供は失踪後行方不明

創業者の孫にあたる加藤貴司氏が2008年から失踪しているという情報を見つけました。

加藤貴司氏の妻はウクライナ人で息子を連れてウクライナに帰国していたそうです。

加藤貴司氏が失踪したのは、妻との復縁を求めて3人でエジプト旅行に出かけた時、旅行中に失踪したと報じられています。

妻のカチェリーナさんは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主となり年間数千万円を受け取っていると言われています。

元々、加藤貴司氏が結婚した際の馴れ初めが、姫路のパブで働いていたカチェリーナさんと出会い、両親の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したそうです。

結婚後に加藤貴司氏のDVがエスカレートしたのをきっかけに当時3歳だった息子を連れてウクライナに帰国したそうです。

失踪当時の様子をカチェリーナさんは次のように説明したそうです。

2008年2月24日、ホテルで加藤貴司さんはカチェリーナさんに「スパに行ってきたら」といい、カチェリーナさんがスパに行って戻ってみると息子と加藤貴司さんが姿を消していたということです。

しかもカチェリーナさんの携帯電話、ビザ、航空券、キャッシュカードも消えていました。

しかし、カチェリーナさんによるとその後、加藤貴司さんと息子は飛行機に乗って関西空港へ行き、実家に帰ったらしいということです。そこでカチェリーナさんが加藤貴司さんの実家にいくと、加藤貴司さんと息子はどこに行ったかわからないというばかり。

しかも息子だけがシンガポールに出国したことがわかっているが、その後加藤貴司さんと息子は行方不明だということです。

失踪から15年、まだ行方不明のままだと言われています。

加藤貴司氏の息子は現在18歳になっています。

しれば知るほど謎だらけな一族ですね。

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まとめ

餃子の王将といえば、手頃な価格で美味しいと人気のお店ですが、闇が深すぎたんですね。

裏社会の繋がりが深く、4代目社長の射殺事件とも関係がありそうな予感がします。

現在の餃子の王将の社長は渡邉直人氏ですが、創業者一族と対立関係にあるそうなので現在の餃子の王将の関連サイトには創業時や創業前の記事は書かれていません。

闇ですね。

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