中山翔貴さんは、中山秀征さんと白城あやかさんの長男で2022年4月8日スタートのテレビ東京系ドラマ「しろめしの修行僧」(毎週金曜・深夜0時12分)で芸能界デビューされることになりました。
中山翔貴さんは、小学1年生から野球を16年続けており青山学院大学ではエースとして活躍していました。
そんな中山翔貴さんが野球を辞めた理由は何だったのか気になりますよね。
実は、高校時代より腰椎分離症で腰を痛めてから思うようにプレーが出来なくなった時期も多く「イップス」という突如自分のプレーができなくなる症状に悩まされていたようです。
野球人生を諦めた理由は、ケガなどの故障によるものだったようです。
中山翔貴さんの経歴をまとめてみたので紹介していきます。
中山翔貴プロフィール
生年月日:1999年3月18日
出身地:東京都港区
身長:180cm
小学校1年生から大学4年まで野球部に所属。
高校では、都16強、大学では東都2部リーグ優勝を経験されています。
憧れは、ダルビッシュ投手で、中山翔貴さん自身も投手として活躍していました。
中山翔貴は青山学院大学卒業の青学ボーイ
中山翔貴学歴まとめ
出身小学校:青山学院初等部
出身中学校:青山学院中等部
出身高校:青山学院高等部
出身大学:青山学院大学
青学一筋の学生生活だったようですね。
カメラの前でポーズをとる中山翔貴さんのジャケットの色は、青学カラーを連想させる青緑(ターコイズブルー)
意識したわけじゃないんです。
16年間の青学愛がそうさせるのかもしれませんけどね…(笑)
中山翔貴野球部での活躍ぶりまとめ
中山翔貴さんは中学時代は、外野手でしたが高校時代よりポジションは投手となっています。
試合を見に来る父の姿を見て、自分より父の方が目立つ存在だったと明かされています。
有名人を両親にもつといろんな意味でプレッシャーを感じていたかもしれませんね。
高校時代よりケガで悩まされた野球人生
中山翔貴さんは、高校時代に腰椎分離症を患い、投球フォームを下手投げに転向されています。
投球フォームって、全身のバランスなどが重要なんでしょうね。
少しの故障でも、やはり全身に影響を及ぼすので苦悩の連続だったと想像できます。
ケガに悩まされていた時に
思うようにやり続ければ、いつかうまくいく!
父からの言葉に励まされ野球に打ち込むことができたそうです。
ケガやイップスの症状に悩まされたのが野球を断念した理由
中山翔貴さんは、ケガで挫折を感じながらも両親の励ましなどもあり何とか野球を続けてきましたが、ケガ以外にも「イップス」と呼ばれる症状にも悩ませれたようです。
イップス (yips) は、主にスポーツの動作に支障をきたし、突如自分の思い通りのプレー(動き)ができなくなる症状のことである。 野球やゴルフ、テニス、ダーツなどのスポーツに多く見られる。
中山翔貴さんは野球一筋でしたが、高校3年の冬に家族で母、白城あやかさんの舞台を観劇したのが人生の転機となったと話されています。
スポットライトの中心に立ち、観客の視線が一点に注がれる姿は「本当に格好良くて」。
物心ついた時からテレビで父や母を見るのは「日常」だったが、初めて生で目の当たりにした瞬間は体が震え、鳥肌が立った。
大学でも野球を続けたが、その日以来ずっと脳裏には母の残像があった。
悩んでいた時に、両親にスポットライトが当てられるのを見て勇気づけられたのでしょうね。
まとめ
中山翔貴さんは、学生時代は野球一筋の人生を歩んできましたが、腰椎分離症やイップスなどの症状に悩まされ野球を断念されました。
そこで中山翔貴さんに新たな人生の夢を見せたのが、両親の存在であり母親の舞台だったと思われます。
俳優をやりたいと両親に打ち明けた時、「勧めもしないけど、否定もしないよ。華やかな世界だし、良いこともあるだろうけど、その分大変なことも多いから簡単なことじゃないよ」と、母も父の言葉に頷きながら「簡単にあきらめないようにね」と背中を押してくれたそうです。
今後の活躍に期待したいと思います。
コメント