【イケメン画像あり】玉城デニーはどんな人物?ハーフでいじめられていた!

2022年9月11日、現職と新人3人による争いとなった沖縄県知事選挙の投票が行われ、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設反対などを訴えた現職の玉城デニー氏が2回目の当選を果たしました。

そんな玉城デニー氏の若い頃がイケメンで幼い頃はいじめられていたという過去があると話題になっており情報をまとめてみたので紹介します。

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玉城デニープロフィール

本名:玉木康裕

生年月日:1959年10月13日

出生地:アメリカ合衆国統治下の沖縄 中頭郡与那城村(現・沖縄県うるま市)

沖縄の米軍基地に駐留していた米兵の父と伊江村出身の母の間に生まれたアメラジアンで、父の母国に渡航することを前提に母親からデニスと名付けられますが、結局母親は父を追うことはなく小学校4年生の時に、康裕に改名されます。

30歳の時にタレントとして独立し、ラジオのパーソナリティを務め、時に高齢者から人気がありました。

玉城デニーはハーフで幼い頃にいじめにあっていた

玉城デニーの父親は米兵で会ったことがない

玉城デニー氏の父親はアメリカの海兵隊員で、玉城デニー氏が母親のお腹にいる頃にアメリカへ帰還命令を受け帰国されています。

帰国した父親からは、アメリカに来て欲しいと手紙を送られてきたそうですが、玉城デニー氏が2歳の頃母親がアメリカには行かないと決めて思い出の品々を処分し女手一つで育てようと決心したそうです。

なので玉城デニー氏は父親に会ったことがないそうです。

玉城デニーには母親が2人いた

玉城デニー氏の母親は、沖縄県国頭郡伊江村出身のウチナンチュ(沖縄の人)。

母親は玉城デニーさんが2歳の頃に、父親のいるアメリカには行かず、女手1つで育てようと決心しています。

そして玉城デニー氏が2歳の時に友人の家に預け。母親は辺野古の飲食店で住み込みで働き月に一度、与那城に帰ってきて子供と会う生活を送ります。

玉城デニー氏が小学4年生の時にやっと一緒に住めるようになったそうです。

育ての母親は「おっかぁ」こと知花カツさん。

とてもいい人で、いじめられていた時にかけてもらった言葉がありその言葉に救われたと語っています。

トゥーヌイービヤ、ユヌタケヤアラン

言葉の意味は、

十本の指は同じ長さじゃない。

指が一本一本違うように、人間はそれぞれが違っていい。

玉城デニーは元タレントで若い頃はイケメンだった

玉城デニー氏は上智社会福祉専門学校を卒業し福祉関係の仕事をされますが、その後音響関係の会社勤務を経て30歳のときにタレントとして独立します。

琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティや、1998年7月にスタートした沖縄市エフエムコミュニティ放送の「OKINAWAミュージック・タペストリー」の総合プロデュースとパーソナリティ、イベントの司会などを務められ、ラジオでは沖縄語を駆使し、高齢者から絶大な支持を受けていました。

若い頃の画像は、彫りが深くイケメンですね。

まとめ

玉城デニー氏は、ハーフで幼い頃は「アメリカー!」といじめられていた過去があり、友人や周りの人から「デニーはデニーさ!何で気にすることない」の言葉が、現在の玉城デニー氏の政策を支えているのかもしれないですね。

今後も沖縄県知事として活躍して欲しいと願います。

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